捨て夏
2023年 09月 28日
2023年 09月 28日
2022年 01月 09日
2021年 10月 30日
私にはキラキラした趣味がない。
身体を動かす系やアウトドア、何も追っかけてないし、食べ歩くほどの財力もない。
毎日の制作は趣味の粋を越えているのでもう趣味とはいわない。
あるにはある。鉛筆を削ったりだとか、こまごましたものを整理したりだとか。
しかしそれでは「趣味は何ですか?」と聞かれた時に話が広がらなさすぎる。
ただ1つある。唯一これは趣味だと公に言えるのは「読書」だ。
地味だ。キラキラはしていない。でも、本を読むのが大好きだ。
本がなければチラシでも広告でもメニュー表でも成分表でも読みたい。活字中毒である。
どんなジャンルの本を読むのかというと、なんでも読むのだけどやっぱり一番好きなのは小説。
小説の中での分類はというと、これもとにかくなんでも読む。
小説なんて作り話じゃん、とか言う方もいらっしゃいますが、書かれていることに嘘はなく、本質です。
てかなんで「本当にあったこと」でないといけないの?創作だけど、そこにある人の所作や感情の動きはそれは限りなく「本当のこと」だと思う。
実用書などは確かに、「よし!ためになった!」っていう即効性はあるものなんだけど、小説はなんというか後からじんわり効いてくるというか、あぁ、そういうことだったのかと、いつ何時ハッとするかわからない。
畑を耕している感じに近い。自分の土壌を柔らかくして、種を受け入れやすくする。そして種を成長しやすくする。
いろんな人の、いろんな人生を疑似体験することによって視野が広がるし、感情の幅が広がる。想像力が逞しくなる。
想像力とは、優しさや思いやりの元である。そして創造力の元でもある。と思う。
大学生の頃、昼休みに昼食を食べ終わったら、不毛なガールズトークもそそくさと抜け出し、いそいそと図書館に通っていた。
私はいつもいつも知りたいことがあって、答えを求めていた。
とにかく徹底的に追求するところがあって、そのトピックが公にできるものならよいけど、ちょっと口に出すのもはばかれるものの時はちょっと困る。
当時、後輩にすごく好きな男の子がいた。
その子も読書にハマり始めたらしく、時々何を読んでいるのか聞いてきた。
そんな時に限って私は犯罪心理のことを調べていて「ストーカーの恐怖」だとか「スポーツ選手の性犯罪」だとか「猟奇的殺人のなんたらかんたら」だの「快楽殺人のなんたらかんたら」だのを根こそぎ読んでいたので、
「さおさん、最近本読んでますかー?」と聞かれ
「読んでるよー!」と勢いよく答え、
「何読んでんですか?」となった時に、
ハタ、となり、
頭の中ぐるぐる検索してもヤバいタイトルしか出てこなくて、ついぞ急に阿呆になり
「あー、忘れたー」と言ったのである。
きっと、「この人本当に本読んでんのか?」って思われただろう。
だって、村上春樹とかヘッセとか片手に持ってるキラキラした男子に恥ずかしくてとても言えなかったのだ。
私はウブだったのだ。
今なら自分がちょっとヤバいトピックを調べていたってなんなく口に出せる。
そして当時その子のことが好き過ぎた。
あの時のことを今でも思い出しては「あー!」となって軽く死にたくなる。
無難なタイトルが嘘でも思いつかなかったことが悔やまれる。
私があまりに図書館ッ子なので、周りが「私も読んでみよっかなー」って子が出てきて、お勧めを聞かれるようになった。
私は個人個人に合わせて本を紹介していて、本ソムリエになっていた。
わかりやすいものが好きな子にはわかりやすいものを、繊細な感性を持っている子には繊細な表現のものを、暴力シーンが苦手な子にはそういうシーンの出てこないものを、刺激が好きな子のは刺激的なものを。
ある子は「私と同じ名前の人物が出て来るの読みたいんだけど」と言われ
「あー、あるけど・・・死んじゃうけどいい?」と応えた。
本を読みたいと思っている人がお勧めを聞いてくれたら、もうガンガン応えるのだけど、自分から「これ読んでみそ!」と言うことはない。それは昔の苦いトラウマがあるからだ。
高校生の頃、当時つき合っていた人に本のおもしろさを知って欲しいと思い、本を読まない人が簡単に読めて、おもしろくてぐいぐい引き込まれるものをセレクトした。お笑い芸人が書いた、本気なのかネタなのかわからん短編集である。
これなら読めるしおもしろいでしょうと思って貸したら、一切読まずに返してきた。
「どうだった?」とキラキラして感想を求めると「読んでない。」と言われた。
読み始めてつまらなくて辞めたとかじゃなくて、一行も読んでいない、ページを開いてもいないのだ。
失望した。傷ついた。これはダメだと思った。
以来絶対に自分から人に本を薦めない。
当時のつき合っていた人のことはどの点をとっても腹が立つ。
表向きの印象がよく周りからも「いいやつ」で通っていたし、羨ましいリア充カップルに見えていただろうけど、今はその全てに反吐が出る。
おっとっとっとっとっ、今はその話じゃない。そしてこの話をしたら永遠に長くなってしまい、果ては社会への問題定義にまで発展して、デモをおこしかねない。ので、いったん置いておこう。
そう、本の話。私の傍にはいつも本がいてくれた。
枕元にはどんどん本が積まれていくから枕が高くなっていく。
いつも何か疑問があったり、辛かったり、救いを求めていた。答えを探して本を読みまくった。
たった一行、たった一言、そこには答えやヒントがあり、私を満たしたり、救ったりしてくれた。
今ではほとんど心が凪いでいるので、楽しさだけを求めて読んでることが多い。
それでも私の知らないことはまだまだ沢山あり、まだまだ感情を揺さぶることがあり、誠にありがたく思う。
本を読んでいるといろいろ利点がある。
先に言った想像力はもちろん、語彙力の力はすごい。
つけようと思ってつけるわけじゃないけど、本を読みまくっていると自然とついてしまいがち。
語彙力があるとなにかと便利ってのは皆ご存知かと思うけど、特筆したいのが、「英語を喋る時に役にたつ!」ということ。これは日々ものすごく感じる。きっと英語じゃなくても他の言語でもそうだと思う。わからない言葉を別な言葉を何個も何個も使って言い換えたりして、これがダメならこれでどうだ!と伝えることができる。引き出しが多いと得である。
あとは、ユーモアがつく。いや、それはわからん、個人差ありかも。
昔、好きなタイプに「本を読む人」と言っていたことがある。
それを知人の男性に言うと、
「そんなやつはいない。それこそ本の読み過ぎだ、そんなやつは小説の中にしかいない。」と言われた。
おかしい、父も兄も弟もすごく本を読んでいるのに。世の中の半分は男性のはずだのに。なぜいない?
でも後に私は知る。いるところにはいるんです!たとえ地球の裏側だとしても!
今、確かに本を読む人は前にも増して減っているという。文章力と読解力も破滅的に落ちていると思う。
LINE(わたしはLINEではなくMessengerを利用してますが)などでも、言ってる意味がわからなさ過ぎることが多く、何度も何度も質問をするはめになる。
誰が?どこに?いつ?なんのために?
変換ミスの誤字もめちゃくちゃ多くて、ちゃんと確認してから送ってくれーと思う。
私の読解力がなさ過ぎるのか?とすら思えてくる。
皆々、主観で話過ぎだぞ!他人に「伝える」ってどういうことなのか今一度考えてくれ!
テレパシーが使えないなら言葉を尽くしてくれ!
短くていいのは俳句とかだぞ!そして俳句はすごい。あの短さの中の情報量の多さ。かつ感情を揺さぶってくる情緒の豊かさよ。
短い言葉ならパンチ力を頼む。
2021年 08月 28日
2021年 08月 21日
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